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納豆の食文化が町民生活に根付いたのは、江戸時代における文化・文政時代(1804〜29年)だといわれている。当時、町人文化が発展し、日常の生活を風刺したりする川柳が流行しました。中でも川柳という呼び名の由来となった柄井(からい)川柳によって選ばれた川柳を、弟子の呉陵軒可有(ごりょうけんあるべし)がさらに精選して刊行された『誹風柳多留』には、納豆に関する川柳が多数紹介されている。
納豆のあとからばつたばたとくる
これは「朝、納豆売りのあとから他の物売りたちがバタバタ来る」という句。それほど江戸時代の朝食に、納豆は欠かせない食材の1つだったのであろう。
納豆と蜆に朝寝おこされる
江戸時代の朝は納豆売りと蜆売りが多く、その声で朝、目が覚めるという人も少なくなかったようだ。ちなみに、江戸の朝は明け六つの鐘とともに始まる。当時、明け六つの鐘が鳴らされるのは、夜明けの約30分前。江戸時代の朝は暗いうちから始まり、その時刻から納豆売りも出ていたのかもしれない。
しまったり親父納豆買って居る
「朝帰りした息子が、すでに納豆を買っていた親父の姿に驚く」という句で、江戸時代も夜の町人文化は栄えていたらしい。その一つが外食文化。最近は『ミシュランガイド』のような食のガイドブックが注目を集めているが、すでに文政7年(1824年)には大阪で『江戸買物独案内』が刊行されている。江戸に不慣れな人でも独りで買物ができるように、業種をいろは順に並べ、有名店を紹介したもので、江戸に旅した人はこれを見ながらいろんな文化を楽しんだのだろう。
納豆の鴨と聞へるいいくらし
裕福な家庭では鴨を叩いて汁物に入れ、そうでない家庭では納豆を叩いて納豆汁として食べていた。その昔、肉を食べると口が曲がると信じられていたように、肉食は禁忌だったが、文化・文政時代には獣肉に対する禁忌が次第に薄れ、豚肉を入れた鍋を「琉球鍋」と呼んで食べるなど、肉食が増えていったという。
糸を引く人魂納豆売りだろふ
「納豆売りが売る納豆の糸を引く様が、人魂のように見えた」という句。文化・文政時代に4代目鶴屋南北が『東海道四谷怪談』を書き、歌舞伎でも上演され、大当たりした。

ホテルグランヴィア京都で開かれた京都府豆腐油揚商工組合の新年懇親会。
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社史を読むだけでも永持孝之進名誉会長経営哲学が見える1冊。
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