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平成22年度こんにゃく作況ほ(最終成績)(2010-12-13)

群馬県農政部技術支援課は、平成22年度こんにゃく作況ほ最終成績を発表した。それによると、各品種・年生を総合した作況指数の平年比加重平均は102、前月より10ポイントの改善。

「水戸藩と袋田蒟蒻会所」(4)(2010-9-6)

1831(天保2)年に大子地方を含む太田奉行となった藤田東湖は領内の126村を巡回し、庄屋と面接している。当時の記録「巡村目録」に「桜岡家は文化年間(1804〜18)から庄屋をしている。源次衛門はしっかりしており、信頼できる人物である」とあり、藤田東湖は桜岡源次衛門を認めていた。

「水戸藩と袋田蒟蒻会所」(3)(2010-8-3)

その後、荒粉が開発されると、こんにゃくの市場は北は仙台、西は大阪まで広がり、各地から仲買人が入り込んできたため、品質を維持するには出荷元で管理する必要があった。そこで中島藤衛門は、近在の村の2人とともに会所の設立を申し出た。

「水戸藩と袋田蒟蒻会所」(2)(2010-7-7)

1863(文久3)年には久慈郡保内郷上野宮村の宮大工、益子金蔵が「アホリ仕掛」という器具を考案し、「粉蒟蒻」から出る不純物の〝飛粉〟を取り除くことに成功、より高品質の粉蒟蒻が製造できるようになった。

「水戸藩と袋田蒟蒻会所」(1)(2010-6-25)

こんにゃくはインドネシアが原産で、中国を経て日本に伝わった。関東地方で初めて栽培されたのは野洲方面といわれ、江戸中期に水戸領へ移入されて久慈川流域の保内郷(現茨城県大子町域)で生産されるようになった。

ミャンマー・沖縄の輸入こんにゃく原料の流通実態(2010-5-2)

中国産のこんにゃく製品の輸入は1990年から増加し、2007年は偽装問題などの影響で落ち込んだが、今は安定している。そのため、近年のこんにゃくを巡る輸入の不安定要素は製品ではなく、原料にある。

グルコマンナンを有効利用した新規用と開発(2010-4-25)

こんにゃく精粉の粒子径は平均305ミクロン、当社製品の易溶性グルコマンナン「レオレックスRS」は100ミクロンだが、今回開発した微粉末グルコマンナンは30〜40ミクロン。膨潤時間もこんにゃく精粉が約4時間、レオレックスRSが約1時間かかるのに対し、微粉末グルコマンナンは15〜20分と早い。

工業統計「品目編」に見るこんにゃく粉(2008-12-4)

経済産業省が実施している工業統計調査は、わが国の工業の実態を明らかにし、産業政策・中小企業政策など、国や都道府県など地方公共団体の行政施策のための基礎資料となるものだが、この調査結果のうち「品目編」を見ると、こんにゃく粉を産出している事業所の概要を把握できる。現時点で最新の調査結果は平成18(2006)年のもので、対象は従業者4人以上の事業所。なお、こんにゃく粉の製造は「産業別」において「その他の精穀・製粉業」に一括されているため、「こんにゃく(粉)製造業」としての数値は公表されていない。

宝永大噴火とこんにゃく価格の暴騰(2008-7-4)

江戸時代の宝永4(1707)年11月23日に富士山が噴火した。平安時代の「延暦の大噴火」「貞観の大噴火」と併せて「富士山三大噴火」と呼ばれる「宝永大噴火」である。溶岩の流出こそなかったが、大量の火山灰は約100キロメートル離れた江戸の町にも降り注いだという。当時、江戸に居た新井白石は降灰について「雪のふり下るごとくなるをよく見るに、白灰の下れる也」と著書『折りたく柴の記』に記している。

蒟蒻大黒天(2007-12-4)

群馬県下仁田町は「こんにゃくの町」として知られる。こんにゃく芋の主産地であり、さらにこんにゃく粉の生産量が全国のおよそ7割を占めるからである。この町にある諏訪神社には、日本で唯一ともいわれる「蒟蒻大黒天」が鎮座している。

こんにゃく粉の出荷および産出事業所数(2007-9-5)

「製造業の国勢調査」とも呼ばれる経済産業省の「工業統計」品目編から、品目別に毎年末(12月31日)現在の従業者4人以上の事業所数、製造品出荷額、出荷数量などを知ることができる。

こんにゃく王国は一日にしてならず (1)(2006-6-6)

こんにゃくの主要産地をみたところ、近代以降でもかなりの変遷がある。明治期は茨城県が生産量で他県を圧倒していたが、大正期に入ると、岡山県と広島県の西日本勢が台頭してきた。そうした流れの中、戦後、こんにゃく生産で完全制覇を成したのが、こんにゃく王国・群馬県だ。群馬県がこんにゃく生産量のトップに立ったのは昭和26年で、この時の全国シェアは18%。その後もシェアを増やし続け、昭和39年に3割を超え、50年には8割を突破。現在では9割近くのシェアを誇っている。かつては北日本を除く全国各地で栽培されていたこんにゃくだが、こんにゃく生産において、群馬が絶対王者たり得たのはなぜか?

相場変動があるとはいえ(他作物と比べ)値が高い半面、病気に弱く、安定した収穫を上げるのが難しいこんにゃく。その栽培が群馬県で活発化した要因として、最初に挙げられるのが、昭和40年代、群馬県農業試験場渋川こんにゃく試験地(=群馬県農業技術センター・こんにゃく特産研究センター)で在来種と支那種を掛け合わせた改良品種が誕生したことである。マンナンは多いが病気に弱い在来種と、品質は劣るが大きく育ち、病気にも強かった支那種の長所を生かして交配させたのが、「はるなくろ」「あかぎおおだま」などの改良品種だった。しかし、これら改良品種が普及したのは昭和50年代。そのころ既に群馬県は全国の生産量の半分を占めていた。他の先行する要因が探し求められなければならない。

こんにゃくには、激しい相場変動と投機性が宿命づけられていた。年ごとに作柄が大きく変動する面倒な作物と、どう向き合うか。「やってられるか」と投げ出すか、「おもしろい」と感じるか。例えば江戸時代に本格栽培を始めた水戸藩のような堅苦しい武家の土地柄と異なって、群馬には後者が多かったのではないか。「上州人の博打好き」という物騒な言葉もあるが、そんな熱しやすく冷めやすい上州人気質とこんにゃくは馬が合ったのかもしれない。気候風土ばかりか、そこに暮らす人々の気質も含めて、こんにゃくと最も相性が良かったのかもしれない。

参考文献:武内孝夫『こんにゃくの中の日本史
5月29日は「こんにゃくの日」(2005-6-7)

5月29日は「こんにゃくの日」。ところが最近の子供はこんにゃくが何からどう作られているか知らない子が多いそうで、中には板こんにゃくがそのまま畑で収穫される農産物だと思っている子も多いそうだ。これは業界団体の啓蒙普及不足もあるが、こんにゃく業者個々の宣伝不足もある。

こんにゃくの原料であるこんにゃく芋はインド、またはインドシナ半島が原産地とみられるサトイモ科の多年草で、日本には奈良時代に中国を経由してもたらされたと推定されている。

ところでこんにゃくは漢字では蒟蒻と書く。蒟はコショウ科の植物「キンマ」のこと。蒻は「ガマの芽」のこと。それにしても、考えればこんにゃくとはケッタイな呼び名ではないか。しかも古くはコニャクだったらしい。ちなみに中国ではクニャクと呼んでいた。

今、世界でこんにゃくを食用にしているのは日本と中国とミャンマーだけ。その他の国は「悪魔の舌」といって嫌う。しかし、最近の世界の食体系も変わってきた。工夫しだいでは世界に市場が広がる可能性も大きい。

白いこんにゃく、黒いこんにゃく(2004-10-31)

日本に限ったことではないのですが、食文化は地域によって大きく異なり、それぞれに多彩な魅力があります。加工食品で関東風、関西風といった味付けに違いがあることはよく知られています。

こんにゃくにこの東日本と西日本の違いを当てはめると、東は白いこんにゃく、西は黒いこんにゃくが主流と分けることができます。こんにゃくは元来、こんにゃく芋をすりつぶし、水と凝固剤を加えて作られるものですが、現在市場に流通しているこんにゃくは、そのほとんどがこんにゃく芋を精製した精粉を使って作られています。この精粉はこんにゃくを乾燥させて粉末状にしたもので、生のままでは痛みやすかったこんにゃく芋の長期保存を可能にし、年間通しておいしいこんにゃくが食せるように考え出されたものです(詳しくはこんにゃく横丁の「こんにゃくの製造(2)」を参照してください)。

この精粉を使うと東日本でおなじみの白いこんにゃくができます。ところが、西日本では昔からこんにゃくは黒くて、こんにゃく芋をすりつぶす際に混ざる芋の皮が入ったものが好まれてきました。そのため現在では、白い精粉にヒジキやアラメといった海藻を加えることで黒く色付けし、こんにゃく芋から作ったこんにゃくに似せる工夫が施されているのです。

同様に東日本と西日本で大きく異なるものに、白滝と糸こんにゃくがあります。どちらもこんにゃくを食べやすくするために細く加工したものですが、その呼び名の違いは、どこにあるのでしょうか。はっきりとした違いの定義はありませんが、白滝は凝固させる前の、のり状のこんにゃくを「ところてんつき」に流し込み、細くして固めたもの。一方の糸こんにゃくは、板こんにゃくを細く切ったものといわれています。ですが、現在は糸こんにゃくも「ところてんつき」方式で細く加工されているらしく、その違いは曖昧です。大きな違いはやはり、白いか黒いかではないでしょうか。たまに関西のスーパーマーケットなどで、黒い糸こんにゃくに白滝と表記された商品が売られていますので、本当のところの違いは不明確です。

流通(2004-7-6)

こんにゃく製品が消費者に渡るまでには、生いもから荒粉、製粉加工、製品製造の過程を経る。この間には農協や経済連、仲買、原材料、製造業者などが関係し複雑な流通過程をたどる。

生産者段階の出荷形態は現在、生いもが主体。しかし、これは生いもの集中出荷を引き起こし、価格動向に強い影響を与える。このことから生産者段階での荒粉加工の必要性が求められ、加工施設の整備が進められている。こうして流通過程の各段階で施設の近代化、流通機構や組織の合理化が図られているが、今後より一層の推進が必要とされる。

こんにゃく農家にとって最も関心が高いのは、生いも価格の動向。生いも価格は精粉価格と連動し、その年ごとの生いも生産量や製粉の需要動向によって大きな変動を生じる。価格変動は生産者の生産意欲に大きく影響しその結果、毎年の生いも生産量の不安定化を招いている。不安定な生産動向は原料需給のバランスを欠き、こんにゃく業界を悩まし続けている。

原料の需給バランスの調整を図る狙いとして、価格高騰時には中国やインドネシアなどから輸入割当て制度により、原料輸入も行われる。近年は韓国などから製品が恒常的に輸入されている。

こうした状況を受けて1963(昭和38)年、生産の改善、流通の円滑化と価格安定、さらに消費拡大を目標に「(財)日本こんにゃく協会」が設立。生産者団体、原料、製造、仲買業界の関係4団体が結集した。以後、こんにゃく業界振興の核となり努力を重ねている。協会は最も重要な業務として原料(製粉)の安定帯価格を設定し、価格調整に努めているが、その実現には関係団体が協調し、業界全体の体質改善や組織強化、こんにゃく製品の高品質化、新規用途の開発などに取り組むことが必要である。

参考文献:『最新こんにゃく全書』(群馬県農業改良協会)
こんにゃくの栽培から加工まで(4)こんにゃくの育種(2004-4-1)

育種とは作物や家畜の遺伝子を改良することで一段と利用価値の高いものを作り出すこと。農業においては重要な技術であり事業である。

こんにゃくの場合、多収性に優れる「はるなくろ」「あかぎおおだま」の育成が、国内生産高および農業経営の安定化に大きく貢献してきた。さらに生産コストの低減化や多様な消費者ニーズに対応するため、現在以上に高品質で病害抵抗性を備えた品種の開発が望まれる。

こんにゃくは他の作物と比べ栽培面積、生産量とも極めて少ない。育種事業に関わるのは主産地の群馬県と福島県だけである。群馬県農業総合試験場では、おもに交配により系統を育成し、選抜した有望系統は福島県へ配布して育成地以外での適応性を検定する。群馬県内の標高の異なる産地でも検討を行い、成績が優れるものを品種候補として国に出願する。

育種を進める上で大きな課題が2つある。1つは遺伝資源の導入。もう1つが育種年数の短縮化である。

育種材料の遺伝資源はこれまで3品種しかなかった。国内に2品種しかなく、性質上共通点が多いため育種への利用はあまり期待できない。中国から輸入した支那種は多収性で他の形質も異なるため母体としての利用価値は高い。こうした品種を早急に導入する必要があるが、様々な事情で品種の分布さえ明らかではない。野生種をタイ、フィリピン、インドから収集しているが、現時点では、遠縁のため交雑できず育種には利用されてない。

また、育種年数が他の作物に比べて極めて長いためその短縮化が求められる。増殖性が低いので検定に必要な個体数まで増殖するのに最低10年以上を費やす。材料の養成だけでかなりのほ場と労力を使う結果、取り扱える系統数の減少を招く。育種の効率化を図るため現在、早期検定や簡易検定法の開発を進めており、実用化の段階で組織培養による大量増殖法を組み合わせることで、育種年数が短縮できるものと期待される。

参考文献:『最新こんにゃく全書』(群馬県農業改良協会)
こんにゃくの栽培から加工まで(3)こんにゃくの品種(2004-3-1)

荒粉(こんにゃく芋の切り干し)の歩合、精粉の歩留まりなどに影響するこんにゃく球茎の品質は、品種によって大きく異なる。そのため品種の選択は重要になる。

こんにゃくの品種は、古くから栽培されてきた「在来種」と「備中種」、大正時代に中国から輸入された「支那種」の3つに大きく分けられる。在来種として一括されるものの中には、地方の呼称や種場の違いから複数の系統がある。

そして近年、栽培しやすい品種を求め、近代的育種法でこれらを改良、育成したものが「はるなくろ」(1966年品種登録)と「あかぎおおだま」(1970年)。現在この2品種が生産の多くを占めている。

「はるなくろ」は群馬県子持村で最初に栽培された。以前から増殖性が高い備中種が栽培されていたが、はるなくろは備中種よりもさらに収量、品質、増殖性に優れ、2年間で販売する若齢栽培を生み出した。そのため品種の更新が急速に行われ、一大産地が形成された。その後、在来種を栽培していた高標高地域まで広く普及し、群馬県以外でも栽培されるようになっている。

一方の「あかぎおおだま」は、群馬県内各地で普及が図られたが、生子(一年目のこんにゃく芋)の形が棒状であるため貯蔵が難しく、増殖が計画的にできないとの理由で普及が進まなかった。ところが1975年前後にかけて冷夏が続き、種いもの激減で在来種による産地維持が困難になったことから、黄化症状発生が極めて少ないあかぎおおだまは、棒状生子の安定貯蔵技術が確立されたこともあり、急速に普及した。

参考文献:『最新こんにゃく全書』(群馬県農業改良協会)
こんにゃくの栽培から加工まで(2)分類とこんにゃくの一生(2004-2-2)

日本で栽培されているこんにゃく(Amorphophallus Konjac K.Koch)はサトイモ科こんにゃく属の一種である。この、こんにゃく属には多くの野生種があり約130種に及ぶといわれる。その多くは東南アジアに分布する。

こんにゃく製品の原料としては食物繊維であるマンナンを含むことが必須条件で、A.Konjacのほかにイロガワリこんにゃく(A.Variabilis)、ジャワムカゴこんにゃく(A.oncophyllus)などがある。実は、野生種の多くはマンナンを含まないため凝固せず加工に適さない。現在、食用として栽培しているのは日本と中国の一部とミャンマーなどその周辺国である。

こんにゃくは、春に種をまいて秋に収穫といった一年物ではなく、成長には最低2〜3年が必要。

春に種いもを植え付けると発芽、発根して葉を出すが、生育期間は1枚の葉だけで経過し、秋に黄変・倒伏する。この間、種いもは消耗してなくなり、新しい球茎が形成される。新球茎には生子(きご)が着生する。

この生子を一度収穫して次の春に再び植え付ける。これを繰り返しながら球茎は年々大きくなり4、5年目の春には葉が出ないで花が咲く。

生子から1年目には5〜10倍に、2年目から3年目ではさらに5〜8倍に成長する。加工に適するのは3年目のもので、大きいものでは直径30センチ程度。3年目以降はそれほど大きくならない。

また、こんにゃくは低温に弱く腐敗しやすいので、収穫して冬を越して再び植え付けるまでの温度保管が難しい。

参考文献:『最新こんにゃく全書』(群馬県農業改良協会)
こんにゃくの栽培から加工まで(1)来歴(2004-1-8)

こんにゃくの原産地はインドシナ半島辺りと言われる。日本への伝来は縄文時代、サトイモなどと一緒に入ってきたとの見方や、仏教との深いつながりから中国から伝わったという見方など、年代、経路とも定かではない。

中国では紀元300年ごろに作られた古詩に「蒟蒻」の文字が出ており、そのころすでに栽培が行われて食用に供されていたことがうかがえる。

日本では『和名類衆抄』(930年ごろ)に万葉仮名で「古邇夜久」と書かれたのをはじめとし、『拾遺和歌集』(996年)の中でも「野を見れば春めきにける青つづら、こにゃくままし若菜摘むべく」(藤原裕見)と詠まれている。最初はコニャクと呼ばれたが、鎌倉時代にこんにゃく業者の組合「こんにゃくの座」が設けられ、次第にこんにゃくと呼ばれるようになった。

鎌倉時代に書かれた『庭訓往来』(1330年)によると、糟鶏と呼ばれたこんにゃくをたれみそで煮たものが唐伝来の間食となったとあり、おでんの始まりとされている。

こんにゃくを農業として奨励普及するようになったのは江戸時代。茨城県久慈郡地方が関東で最初の産地として知られる。1700年代後半に中島藤衛門により荒粉、精粉の加工法が考案されて以降は、販路拡大、各地での消費の高まり、産地の広がりという経路をたどり、全国各地で栽培されるようになった。

群馬県では室町時代(1505年ごろ)に、南牧村の茂木正峯が西国巡遊の際、紀州から移入したのが始まりとされている。南牧村を中心とする南面傾斜面に自然生として栽培されていたが、種いも貯蔵技術の発達とともに植玉栽培へと変わっていった。

精粉加工については明治初期に、富岡市の篠原粂吉が茨城県久慈郡地方から加工技術を導入。南牧村でムギつき水車を改良して精粉加工に着手したのが始まりである。その後、下仁田以西の山間の急流を利用した水車による精粉加工が盛んになり、栽培も同町を中心に広がっていった。

こうした中、各地で生産されるこんにゃくは次第に下仁田町に集められるようになり、下仁田町は「こんにゃくの町」としてその名を全国に知られるようになっていった。

参考文献:『最新こんにゃく全書』(群馬県農業改良協会)
こんにゃくの製造(2)(2002-3-1)

製粉加工の技術は、江戸時代に開発された。常陸国久慈郡諸沢村(現在の茨城県那珂郡山方町)の農民・中島藤右衛門(1745〜1826)がこんにゃく芋を切干にして粉にする方法を発明し、同じ地方に住んでいた農民の益子金蔵(1786〜1854)が荒粉を搗く臼にあおりをつけて飛粉を除くことを考案し、精粉加工法が完成した。こうしてこんにゃくが大々的に栽培され、生産量が伸びた。また、こんにゃく粉にしたものは腐りにくく、売り急ぐ必要がないのに加えて運搬にも便利なので販路も広がった。

精粉によるこんにゃく製造の原理は、“イモこんにゃく”と同じである。精粉を約3%の濃度になるように水に加え、よく練って膨潤させる。これに凝固剤として水酸化カルシウム(昔は灰汁)を加えてすばやく練り、成型して湯の中で煮ると、ゲル化してこんにゃくができる。

こんにゃくの製造(1)(2002-2-1)

こんにゃくは、食用の初期には、芋をつぶして灰汁とよく練り、湯で煮て製造された。このように、芋から直接作られるのがいわゆる“イモこんにゃく”で、現在も製造されている。ただし現在は、灰汁は使わず、その代わりに水酸化カルシウムまたは炭酸ナトリウムを使っている。

“イモこんにゃく”は、色が自然で風味があり美味しいと高く評価されているが、現在は少なく、大部分が精粉から製造される“コナこんにゃく”である。これは、芋は水分が多く輸送上不便で貯蔵性が悪く、また製品にムラを生じやすいなど供給面での不利が多いためである。

“コナこんにゃく”は、芋に精粉加工を行って製造される「こんにゃく精粉」を原料にして造られる。精粉加工というのは、芋を切断して乾燥し、それを臼で激しく挽きながら強い風をあててマンナン粒子を取り出す操作である。マンナン粒子は精粉と呼ばれ、コンニャクマンナンを主成分とし、ずっしりと重いので臼の中に残る。このときあおり飛ばされた粉は飛粉と呼ばれ、これからはこんにゃくはできない。なお、芋の切干を粉末にしたものは荒粉と呼ばれる。

こんにゃく芋の栽培(2002-1-1)
こんにゃくの葉の写真

こんにゃくは春に芽を出し、1枚の大きな葉をつくる。その葉柄は太く長く、無毛平滑で、淡緑または淡紅の地色に大小の斑紋があり、一見して茎のようにも見える。先端は3つに分かれ、多数の緑の小葉をつける。秋には枯れ、もとの芋は消えて、もっと大きな新しい芋を残す。こういう生育過程を3年ないし4年繰り返してできる3年以上の芋がこんにゃくの原料として用いられる。このような自然のままの栽培が「自然生栽培」と呼ばれるもので、現在は九州、四国地方の比較的暖かい所で見られる程度で、全体的には少ない。

多くの場合は、毎年秋に芋を収穫し、それを適度に保温した格納庫に保管して一冬休眠させ、翌年春再びこれを植える「植玉栽培」がとられている。これは主として、冬季の寒さによる芋の腐敗及び連作障害を防ぐために行われるものである。

現在、こんにゃくの製造原料とされる芋は、大部分が植玉栽培による3年以上のものである。そして、こんにゃくは芋の主成分であるコンニャクマンナンがアルカリと加熱するとゲル化する性質を利用して製造される。

こんにゃくはヘルシー食品(2001-12-2)
 

近頃こんにゃくは、主婦を対象とした健康的なイメージの食品の意識調査でいわしやしらす干し、チーズなどと並んでベスト20のうちに挙げられるほど、ヘルシー食品としての人気が高まっている。

こんにゃくに限らず、昔から食べ続けられている食品には何か人間の体に役に立つものがあるようだ。砂落としとか砂払いとかいわれてきたこんにゃくの効用は、現代の科学で解明されている。こんにゃくの成分であるコンニャクマンナンは多糖類だが、海草やきのこなどと同様に人間の腸内では消化されない食物繊維。

そのため、便通をよくして腸内の大掃除に役立つ。食物繊維の生理作用としては便秘予防のほか、有害物質の排泄降下、血中コレステロールの低下作用、肥満や糖尿病、大腸ガンの予防などがある。コンニャクマンナンそのものよりは、多少効果は少なくなるがこんにゃくは健康食品として価値がある。

こんにゃくはサトイモ科の植物です(2001-7-5)

こんにゃくを食べたことのない人はいないでしょうが、こんにゃくがさといもに近い植物で、いもから作られること、またこんにゃくの花がミズバショウの花に似ていることを知っている人は少ないでしょう。

こんにゃく属の植物は世界に100種以上知られていますが、グルコマンナンを含むのは数少なく、こんにゃく以外にはムカゴこんにゃくなど数種が知られているのみです。現在、日本で栽培されているこんにゃくには「在来種」、「支那種」、「備中種」、「はるなくろ」、「あかぎおおまた」の5品種があります。このなかで日本で古くから栽培されているのは「在来種」ですが、これは今のところ中国でも発見されていません。

こんにゃく芋の主な生産地は群馬が群を抜いて多く、ついで福島、茨城、栃木、埼玉となります。

年間生産量は、多い年で精粉換算で1万4,400トン、少ない年で7,000トンぐらいです。価格の安定を図る目的で生産量の少ない年は中国、インドネシア、ミャンマーから輸入します。

外産地は約200トンぐらいですが、精粉のグルコマンナン量は、国内産に比べると低く、品質も落ちるとされています。


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