豆腐横丁

豆腐店のマーケティングと家族従業

2009-12-8

大学を卒業後、家業は継がずに地元・石川のスーパーマーケットに就職した。

実家は石川の白峰で豆腐店、山下ミツ商店を営んでいた。白峰は人口約1,200人、小学生は1学年に10人ほどしかいない小さな村。だから当時は豆腐に限らず、生鮮食品以外のものなら何でも売っていた。そんな環境で商売を続けていける自信がなかった。

商売の原点知る

スーパーの仕事にも慣れ、少し壁にぶつかっていたころ、映画「てんびんの詩」を見る機会があった。近江商人の家系に生まれた近藤大作という少年が、小学校卒業と同時に家業を継ぐため、翌日から行商に回る中で商売の原点を知るというストーリーだが、見終わったときに号泣してしまった。商品を売ることの苦しさ、買ってもらったときの感動を知っている人なら、この映画は胸に突き刺さる。改めて商売の原点を教えられた。

また、この映画は「商売とは何か」に加えて「後継ぎ」もテーマにしており、子どもに後を継がせることが親にとっていかに苦渋の決断であるかを知った。自分自身の現状と重なり、家業を継ぐ気持ちに変わった。

だが、果たして白峰で商売が成り立つのか、不安でならない。スーパーでの経験から、他店との差別化を図る必要性を強く感じていた。そこで白峰をはじめ、一部の山間部でしか作られていない「堅豆腐」を前面に押し出せば何とかなると考えた。このころから豆腐業者は減少傾向にあったが、豆腐の消費量は横ばいで推移しており、これをチャンスととらえた。

豆腐作りを覚えると、都市部の金沢や福井市内でも通用する豆腐屋になりたい向上心が芽生えた。すると「今作っている豆腐は確かに変わってはいるが、本当に良い豆腐なのか」と疑問を抱くようになった。

当時使用していた原料は、米国オハイオ州産大豆。輸入大豆を否定するつもりはないが、多くが搾油用である米国産大豆に対し、国産大豆は食品用として作られ、品質も優れている。「国産大豆を使えばもっとおいしい豆腐ができるはず」。そう考えて米国産から切り替え、同時に凝固剤もすまし粉からにがりにチェンジ、消泡剤の使用もやめることを決め、試行錯誤の末に誕生したのが「記まじめ!」シリーズ。

これは15年ほど前のことで、スーパーマーケットが出店攻勢をかけて大量生産・大量販売の流れが生まれ、商品の価格がどんどん安くなっていった時代である。

コストダウンの努力で価格を安くするのはすばらしいことだが、豆腐業者はスーパーの要望に応えながら、品質よりも安く販売して消費者に喜んでもらうことに注力する傾向が強かった。結果として経営は苦しくなるのだが、大豆の使用量を少なく抑えていかにたくさんの豆腐を作り、安く売るか、そのことに必死になっていた。

そこで、あえて大豆をたくさん使い、高価格で販売する、逆の戦略に出た。時代の流れに合わせるのも悪くはないが、それでは生き残れないと思い、“逆価格破壊”を打ち出すことを決めた。(続く)

山下浩希氏(山下ミツ商店社長/富山大学教養教育科目「日本の企業経営」での講演より)

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