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地域特有の食の“形”というものがある。地元の人々が日常、慣れ親しんでいるものだから、日本全国どこへ行っても同じようなものだと思っていたらば、どうにも納得できない食の在り方に出くわしたりするものだ。それらについて、野瀬泰申氏は「食の方言」と呼んでいる。例えば、本紙の第1781号(2012年1月11日号)で取材した五十嵐食品(新潟・糸魚川市)や豆光(滋賀・東近江市)の焼き豆腐の形状が、独特に見えることは再三指摘してきたとおり。

新潟・糸魚川市や滋賀・東近江市など、一部地域で確認できる独特の焼き豆腐の“形”とは?—-通常の焼き豆腐は焼き目が付いた1丁の豆腐がそのまま入っているようだが、糸魚川市などではいくつかに切り分けられた上で、立てた状態でパッケージング。その“形”だけ観察すると不思議に思えるが、現在当たり前のように思っている焼き豆腐の“形”の本来の在り方を考えれば、腑に落ちないこともない。
「お焼き(焼き豆腐)はこのごろ並べておいて、上からガスバーナーで焼き目をつけるだけの店が多い。しかしときどきは昔のように金串にさして焼いてはる家もある」(秋山十三子『豆腐の話』)とは昭和50年頃の証言。昔は最初に豆腐を切り分け、炭火で焼いたものが売られていた。そう、あたかも豆腐田楽のように(図の(3)–Aを参照)。それが時代の移り変わりとともに、効率が求められ、上からガス・バーナーで焼き目を付けただけのものをそのまま((図の(3)–Bの段階で)売るようになったのが、昨今通常に見られる焼き豆腐の“形”だろう。

ところが、切り分けた豆腐を炭火で焼いていた時代から、1丁丸ごとガス・バーナーで焼く時代と変わっても、地域の住民が以前と同じ“形”で売られることを求めた場合にどうなるか? バーナーで焼き目を入れる工程までは同じだが、その後に切り分け(図の(4))、さらにそれを取り出しやすいように立ててパッケージングしたのではないだろうか。そうした経緯の中で、糸魚川市のような焼き豆腐の“形”が出現したのだはないかと推測される。いわば、糸魚川市で確認された焼き豆腐の“形”は、焼き豆腐の製法が変わった後世に、不意と復活した隔世遺伝的な形質なのである。

紙吹雪が舞う中でオープンした「2012 第4回国際大豆食品加工技術および設備展覧会」
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